オピニオン

がりゅさんの生い立ち【がりゅさんと呼ばれるワケ】

プロフィール 活動記録 自分らしさ

どうも、がりゅさんです!ついに自分のプロフィール記事が完成しました!!!

まず、軽く自己紹介しておきます。

  • 23歳 WEBフリーランス
  • 趣味:ダンス、音楽、ドラマ、アニメ、読書
  • 尊敬する人:ウォルト・ディズニー
  • 経歴;小学校1年生~高校3年生間での12年間野球に熱中する。👉大学からはストリートダンスへ進路転向。アメリカへダンス留学。👉大学4年生の就活時にIT留学へ行くことを決意。プログラミング始めてから4ヶ月でWordPressテンプレート「Smart LP」をリリース。👉その後、イベントの開催や企業との共同プロジェクトなどを行う。現在は、事業の立ち上げの準備中

こんな感じで色々とたくさんのことをやってきましたが、

今回の記事では、

  • なんでがりゅさんと呼ばれるようになったのか?
  • がりゅさんとは?
  • がりゅさんの由来って何?

をぶっちゃけていきます!

では、いきます。

 

幼少期:超ビビり少年

~幼稚園まで

生まれは名古屋。次男として誕生。「超ビビり」で、すぐに泣く子だった。

ジェットコースターは、もちろん乗ることができず(今も継続中)、ハリーポッターでさえ、上映開始2分で退場するほどのビビりだった。このビビりの原因は、周りの暖かさがあったからだと思う。次男坊だったからか、周りの人達からすごく可愛がられていた。そのおかげで、自分が怖い思いをしても助けてくれる人たちがいた。その結果、幼稚園まで、怖いことに対して逃げてきた。当然、怖いことに対して逃げていたら、年を重ねるにつれて、挑戦しにくくなる。幼稚園に入園する頃に超ビビり少年が出来上がっていた。

しかし、こんなビビりでも、かなりの負けず嫌いだった。

3つ上の兄がいて、兄に負けることが猛烈に嫌だった。走る勝負をし始めると、自分が勝つまで何十回と勝負し続けた。当然、勝つことができるときは、兄が呆れて、ゆっくり走ってくれるときだけで、僕はその勝利に猛烈に喜んだ。こんなことをゲームやサッカー、野球、食べる速さ、箸の持ち方など、何かあっては、兄と勝負していた。

しかし、この「勝つまで続ける」習慣が、今の僕の負けず嫌いの原点でもあり、ここから「がりゅさん」へ進化させた。

 

小学校:人と違うことをしてみる

小学校1年生~3年生

小学校から奈良へ引っ越し。そこで初めて、嫉妬心にかられる。それは兄の方が多くの友達を先に作ったこと。正直、小学校へ入学するまで、自分は兄より上だと思っていた。(←理由はわからない。。。笑)しかし、奈良へ引っ越したときに、兄の周りに多くの友だちができていることを見て、悔しさでいっぱいだった。

この出来事は今でも鮮明に覚えていて、人生で「初めて」勝てないと思った。理由は自分には会ってすぐに友達になったという経験を今までしたことがなく、そもそも友達を作ることが苦手だったから。

これは勝てない。この心情から「敬う」ということを学ぶ。小学校1年生の僕は、これを機に兄を敬うようになった。幼稚園までは、勝負ばかりしていたので、兄とよく喧嘩をしていた。しかし、小学校から一切喧嘩をしなくなった。兄のようになりたいという思いの方が強くなり、どうやったら兄のようになれるかを考えるようなった。

小学校1年生から野球を始めた。始めた理由は、兄が始めたから。兄を尊敬するようになった僕は、マネをするようになり、その流れで野球を始めた。始めは兄に負けたくないという思いだけで野球をやっていたが、徐々に同学年の友達が増えてきて、友達に負けたくないという思いの方が勝ってきた。それを見た父に火が付き、スパルタ指導が始まった。毎日素振りをし、毎週水曜日はグランドで練習をするようになった。この練習が本当にきつくて、段々野球が嫌になった。毎週水曜日と土日は、本当に苦痛だった。

でも、今振り返ると、父が指導してくれたからこそ、12年間も野球を続けることができたと思う。(理由は高校生編で!)

 

小学校4年生~6年生

兄は小学校を卒業し、順調に野球をしていた。しかし、小学校4年生は野球人生を大きく変えた。小学校1年生から野球を始めたのがチームメイトの中で僕だけだったので、チームの中で一番自分が上手いと思っていた。3年生から試合に出せてもらい、結果も難なくと出せていた。むしろ良かった。その自分に満足してしまったためか、小学校4年生の時にスランプになる。練習は毎日いつも通りにやっていたが、周りの友だちが成長していき、中々結果を出すことができなくなっていた。そこにすごく悔しさがあったが、どうすればいいのかが当時の僕には分からなかった。

その答えが出ないまま、4年生の冬に、同学年の友だちと大きく差がついた。みんなは1軍に行き、自分だけが2軍に残った。負けず嫌いの自分にとって、この悔しさは尋常ではなかった。生まれて初めて勝負の厳しさを知ったのだから。

それと同時に自分には野球のセンスがないことを気づかされた。今までみんなにセンスがあると言われて、自分もその気になっていた。しかし、現実は逆。周りの友だちと比べてむしろ劣っていた。現実を受け入れた僕は、色々と試した。その中で、父が打ち方について提案してきた。それはチョー変な打ち方。例えるならドカベンの殿間のような打ち方。。。

いつもの自分なら試さなかったが、その時は何も言っていられなかったので、とりあえずやってみた。。。そしたら、大当たり!!!その打ち方で初めてヒットを打ったとき、自分もびっくりしたが、チームメイトもめちゃめちゃ驚いていた。それから調子を取り戻し、5年生になる頃には1軍のレギュラーになっていた。

この時に気づいたことは、この変な打ち方が自分の強みであること。誰もやらないことをやること誰も考えないことをやること。これが自分の強みだと確信した。それから自分の頭で考えるようになった。自分でトリッキーなプレイをやってみたり、状況に応じて打ち方を変えたり、打つ方向を変えたりしてそのための努力をひたすらやった。

その結果、6年生の頃にチームは史上初の県大会を優勝し、その中で僕はチーム一の成績を残すことができた。この「自分で考えて行動する」をしたことによって野球人生は大きく変わった。また、これが自分の一番の強みになった。

そして、がりゅさんの土台が完成した。

 

中学校:傲慢だった野球生活

中学校1年生~3年生

中学校から硬式野球のクラブチームへ入団した。入団したチームはそこまで強くはなく、小学校で活躍した自分は、1年生からレギュラーとして出ることができた。そのせいもあって、小学校から続けていた毎日の素振りを止めるようになった。この頃は、いわゆるテングになっていた。

実力のない自分を過少評価し、試合に出させてもらうことが当たり前だと思っていた。そんな調子で続けていると、徐々にチームメイトに追い越され、終いにはバットにボールを当てることができなくなっていた。当然、試合に出ることも少なくなり、みんなから見放されていった。

しかし、監督だけは見ていてくれた。落ちこぼれていった自分に指導してくれた。「お前ならやれる」って何度も言ってくれた。その時は監督だから当然と思っていた。当たり前だと思っていた。そんな時に、中学校2年生の冬にチーム指導者全員が辞めることになった。もちろん監督も。。。最後の日に、何を言ったかをはっきりと覚えていないが、監督は悔しい気持ちでいっぱいだったと思う。その時に、考えた。「なんで監督はこんな自分をずっと信じてくれたのか」。答えは今もわからない。でも、こんな自分を信じてくれた監督に恩返しをしたい!って猛烈に思った。そこから僕は甲子園に出場することを目標に野球をマジでやることを決意した。

 

高校:がりゅさんと命名!

高校1年生~3年生

高校では、野球の強豪校へ入学した。もちろん、甲子園に出るためだ。しかし、現実は全然甘くなかった。中学校で練習をサボっていた自分は、同学年のチームメイトとの実力の差を思い知らされた。

正直、高校3年間は、めちゃめちゃつらかった。野球を辞めたいって何度も思った。だけど、中学校の監督や、小学校からずっと練習に付き合ってくれた父のことを考えると諦めることができなかった。なぜなら、その人たちのために自分ができることは野球しかなかったから。

こんな自分のために仕事をやりながらも時間を作って、練習に付き合ってくれたのに、最後までやりきらずに終えることはありえないと思った。だからこそ、がむしゃらに練習した。1ヶ月間毎日、1000回の素振りをやってみたり、夜9時までボールをずっと投げ続けたりして、とにかく必死になって練習をした。

必死になって練習した結果、僕はいま走ることと、投げることができない体になってしまったが、後悔はなかった。ここまで全力になれたのは父や監督のおかげだと感謝している。

 

このがむしゃらの中で、がりゅさんは誕生した。小学校のときに自分の強みは、「誰もやらないことをやること、誰も考えないことをやること」だった。それを高校時代の僕は、野球の練習に取り入れた。とにかく変な練習をした。ネットの枠に当てる練習、変な打ち方の練習、変なトスバッティングなどなど。自分からすると「おかしい」ってまったく思わなかったが、周りから見たらおかしいかったみたい。。。

それを見たチームメイトが僕のことを我流というようになり、それでなぜか、がりゅさんになった。つまり、がりゅさんとは、誰もやらないことや考えないことをやることをいう(と思う。)変な練習でも、必ず意識することがあった。それは「自分らしさ」。自分だからできることを軸に練習や打ち方を考えた。その結果は、高校ではダメだったが、高校生で「自分らしさ」を考えることができたのは、大学生活に大きく影響を与えた。

 

大学生:がりゅさん.comの誕生秘話

大学生1年生~2年生

高校でがりゅさんが定着してから、大学ではもっとヒートアップする。

大学からEXILEになりたいと思い、ダンスを始める。このダンスががりゅさんを強化する。なぜなら、ダンスは「自分らしさ」を求められるから。ダンスを始めた当初は、EXILEの振り付けを真似したりしていたが、本格的に始めようと思って、ダンススクールを通い始めた。

しかし、そのダンススクールではゴリゴリのストリートダンスをしていた。それを知らずに、このダンスをやっていれば、EXILEに近づけると思って通い続けた。そして、そのダンススクールがゴリゴリと気づいたときには、もう遅かった。すでにEXILEの道からは外れ、ストリートダンスに夢中になっていた。

その理由は、2つあって、1つがそもそも楽しかった。この世にこんなに楽しいものがあっていいのかと思ったほど。野球をしていた自分をちょっと後悔した。。。

もう1つは、ヒップホップカルチャーがかっこいいと思ったこと。ストリートダンスは、たくさんの種類があるが、その中でもがりゅさんは、ヒップホップを主にやっていた。ヒップホップには独自のカルチャーを持っていて、そのカルチャーに関心した。理由は、自分を表現し続けて世界に広めたため。(詳しくはまた記事で書きます。)ストリートダンスは、アートに近い。自己表現が求められる。ヒップホップダンスを作った方に、ある時問われた。

「Who are YOU?」って。

これが自分にとって一番印象的だった。なぜなら、今まで考えたことがなかったから。野球では個人よりもチームを大切にする。だから、個性を出してはいけなかった。その世界から、急に「Who are YOU?」って言われて、、、今までの自分を振り返った。

僕はがりゅさんと言われ、他の人たちとは違うことをすることを大事にしてきた。そして、「自分らしさ」を常に考えていた。だから、ダンスと出会ったとき、「Who are YOU?」って言われたとき、点が線に変わった。ここから「自分」という存在について考えるようになった。そして、自分を知り、「自分らしく生きる」ことがこんなに楽しいのかと知ることができた。

だから、僕はいま「がりゅさん.com」を作った。自分は、「野球」と「ダンス」という相反するものを経験した。

その2つを経験したからこそ、「自分らしさ」がどれだけ大事なのかがわかる。

だから、このがりゅさん.comで「誰もが自分らしくワクワクした人生を築くきっかけ」を提供していく。

\Share/

\Follow/

関連キーワード

関連する記事

がりゅさんの生い立ち【がりゅさんと呼ばれるワケ】 オピニオン

がりゅさんの生い立ち【がりゅさんと呼ばれるワケ】

英語が嫌いな僕が、異文化交流イベントを開催するたった1つの理由 オピニオン

英語が嫌いな僕が、異文化交流イベントを開催するたった1つの理由

L.A.のストリートへダンスしに行ってみた オピニオン

L.A.のストリートへダンスしに行ってみた

【あなたに協力してほしい】セブ島の貧困問題の事実 オピニオン

【あなたに協力してほしい】セブ島の貧困問題の事実

前半3カ月のセブ島留学の活動 オピニオン

前半3カ月のセブ島留学の活動